厚生労働省が介護現場にリハビリの概念を導入したい理由

 

私の学生の頃の教育は理学的検査を医療現場でできるようになり、関節可動域測定、筋力テストなどの結果を、医師に正確に報告し診断の補助になるという勉強が主体でした。

 

日本におけるリハビリの見直しは介護保険の導入が大きな原因です。

1990年代になり、高齢化が社会問題になり、高齢化に対応する職種としてPT,OTの養成が必要だということで、介護保険の導入にPT,OTが狩りだされたという感じです。

PT、OTの技術はCT、MRI、各種生化学検査のように高価な機械を使わなくても、徒手でできる検査、訓練が多いので、介護現場で使えると考えられたからだと思います。

もう一つはリハビリの考え方として障害者の生活全体を把握するという概念が障害者の権利を守る役割に利用できると考えられたのでしょう。

そのために「機能障害・能力障害・社会的不利の国際分類」(ICIDH)を国際生活機能分類(ICF)に変更する必要があったのではないでしょうか?

 

以上のように、如何なる障害があったとしても人間としての尊厳は守られるべきだというヒューマニズムが介護現場、療養病棟に必要だという世論があります。

そのためにリハビリテーションカンファレンスで、医師、看護師、PT、OT、ST、介護職員、CWがリハビリテーション・チームアプローチ出来ているかということが監査で厳しく問われるという時代が来ていると思います。

 

以下に詳しいリハビリテーションの障害論の基礎を記載しました。

 

リハビリテーションが介護現場に導入された経緯

20世紀後半に入って、先進国での寿命の延長、慢性疾患や障害を伴う疾患の増加、戦争や災害による障害者の増加という現実と障害者の人権尊重という機運とがあいまって、障害、すなわち「疾患が生活・人生に及ぼす影響」をみる必要があるという意識が高まりました。国際障害分類の制定作業は1972年にはじまり、種々の議論をへて、1980年に「機能障害・能力障害・社会的不利の国際分類」(ICIDH)が「試用のため」としてWHOから刊行されました。時あたかも1981年の国連障害者年の前年にあたり、この新しい障害概念は「国際障害者年世界行動計画」の基本理念にも取り入れられ、一挙に世界中に知られるようになり、各方面に大きな影響を与えました。
 ICIDHのモデルは、疾患・変調が原因となって機能・形態障害が起こり、それから能力障害が生じ、それが社会的不利を起こすというものです。

 

ICIDHの障害構造モデルは「客観的な障害」しか扱っていないものであり、それと同等に重要な「主観的な障害」(体験としての障害)、すなわち障害のある人の心の中に存在する悩み・苦しみ・絶望感(同時にそれらを克服するために生まれてくるプラスの心の働きである心理的コーピング・スキル)を付け加える必要があるというものでした。障害のある人は手足が動かない(機能障害)、歩行その他の日常生活の行為ができない(能力障害)、職を失う(社会的不利)などの現実世界の困難・不自由・不利益に悩んでいるだけでなく、同時に心のなかでひそかに「自分は無用な人間になってしまった」、「社会の厄介ものであり、家族のお荷物である」などという気持ちに悩まされており、心的エネルギーはもっぱらそれに向けられて、現実的に客観的な障害の克服のための工夫や努力に向けることが困難な場合が多い。逆にそのような心の悩みを克服することは可能であり、それを成し遂げた人は人間的に大きく成長し、主体性を発揮して客観的な障害の克服にも積極的に取り組むようになるということです。

ICIDHは「障害の分類」として、当然のことながら障害というマイナス面を中心にみているということです。しかし障害者とは障害というマイナスしかもたない存在ではなく、健常な機能・能力というプラスをもち、社会的不利だけでなく社会的な有利さをも備えている存在である。リハビリテーションとはマイナスを減らすことだけではなく、むしろプラスを増やす(潜在的な能力を開発・発展させる)ことで大きな成果を上げることができる。このような立場からの初版への批判は多くの人からなされました。

以上のような批判を受けて、WHOは1990年に改定の動きを開始しました。そして1992年から国際的な改定会議が毎年開かれ、専門家だけでなく障害当事者も参加して行われ、その結果を2000年11月の最終的な年次会議に結集し、そこで最終案が成立しました。そして2001年5月22日の正式決定に至りました。 この改定過程で国際障害分類の目的についてのコンセンサスができ、特に障害分野における「共通言語」(異なる専門の間、専門家と障害当事者の間、それらと行政との間、等々の理解・協力の促進のための)としての意義が強調されるようになりました。
その他、医療・福祉・介護・教育・職業等のサービスの現場における、障害の総合評価、サービス計画、結果評価などにおける活用が重視され、また調査・統計、研究、制度・政策の基礎付け、教育・啓発、など多数の分野での活用が目的としてあげられます。

 

国際生活機能分類(ICF)の特徴

(1)中立的名称の採用

 ICFにおいても、障害を三つのレベルで把握しようとする点は初版となんら変わりませんが、マイナスよりもプラスを重視する立場から、プラスの用語を用いています。すなわち機能障害でなく「心身機能・構造」、能力障害でなく「活動」、社会的不利でなく「参加」を用いています。これらが障害された状態はそれぞれ「機能・構造障害」、「活動制限」、「参加制約」です。
 これに伴い分類全体の名称も「生活機能・障害・健康の国際分類」というように人間の生活に関わることのすべてを対象とするものになりました。ここで生活機能(Functioning)とは人間生活の3階層を包括するプラスの包括用語であり、マイナスの包括用語である「障害」に対応して新しく作られた概念です。なお英語ではこれまで日本語の「障害」にあたる包括用語がなかったが、今回disabilityという、以前は能力障害という一つの階層のみを示していた語が包括用語となりました。同じ単語が異なる意味をもつようになったので注意が必要です。
このようにICFはICIDHを継承するものではあるが、もはや障害のみの分類ではなくなり、生活機能と障害の分類となりました。つまりあらゆる人間を対象として、その生活と人生のすべて(プラスとマイナス)を分類・記載・評価するものとなりました。

初版で「疾患/変調」であったものは、ICFでは「健康状態」という中立的な用語で表されるようになった。これは単なる言い換えではなくて、疾患だけでなく、妊娠、高齢、ストレス状態、先天異常、遺伝的素因などを含む広い範囲のものを含むようになっています。
 健康状態と生活機能の3レベルとの関係は、すべて両方向の矢印でつないだ相互作用モデルとなりました。また、重要な変化として環境因子と個人因子を「背景因子」として、生活機能と障害に影響する因子として取り上げ、新たに詳しい「環境因子」分類が加えられました。

 

(2)活動と参加との共通リスト化

 今回の改定の過程でベータ2案までは「活動」と「参加」の分類は別々であったが、その両者の間の重複や線引きについての長期にわたる議論が最後まで決着がつかず、ICFでは両者を一緒にした「共通リスト」とし、その活用(どの項目を活動または参加、あるいはその両者に用いるか)については各国の自由に任され、時間をかけて世界共通の基準を作っていくこととなりました。

(3)活動の評価における「能力」と「実行状況」

 活動・活動制限の評価について、「実行状況」をみるのか、「能力」をみるのかという議論が長く続きましたが、これは最終的に両者をみてその違いを把握することが重要であるということで決着がつきました。これはわれわれが以前から提唱してきた「しているADL」、「できるADL」に対応する概念であり、その両者が重要との結論に至るまでには日本協力センターが提供したデータも一定の役割を演じたといってよいでしょう。なお参加については、当然のことながら実行状況の評価のみです。

国際障害分類初版(ICIDH)から
国際生活機能分類(ICF)へ
―改定の経過・趣旨・内容・特徴―

以上 上田敏先生の文章をお借りしました。

ICFは障害をとても多面的に捉えICIDHよりも正確に障害者を理解できるように仕上げられています。

 

平成30年3月9日、3月11日にICFに関するアンケートを行った。

3月13日時点での結果を以下に示す。

 

3月9日のアンケート

ICFの概念を理解して介護に当たっていますか?

ICFの概念は理解しているが、それが介護のすべてではない 27

理解している 12

ICFは聞いたことがある程度 5

知りません関係なくてもできます 2

ICFの概念は仕事に役立っている 2

ICFの用語は介護に係わる人にとって共通の用語であると認識している 0

 

3月11日のアンケート

ICFを良く知っているという方に質問します

ICFで障害像を明確にでき他職種との連携に十分役立てていますか?

ICFは全く使えていない 24

少しは役立てている 3

十分役立てている 3

 

考察

ICIDHは医学モデルとしては重要で、身体障害像に対しては明確にできるが、人生レベルを測ることができない。医療技術だけで人間生活は成り立たない。文化、芸術、音楽映画は人生を豊かにする。その人の障害を人間全体として正確に理解しなければ、有効なアプローチはできない。医療福祉の専門職の技術を活かす共通の概念としてICFはかなり慎重に検討され改訂されたものであったが、アンケートの結果、ICFは現場では使えないという回答が多数であった。

一部のマルチの天才は別として我々は、あまりたくさんの専門分野の知識を持つことができない。私は理学療法技術を高めるので精いっぱいだ。

私は我々、凡人が真の専門技術をマスターできる分野は多くても2つくらいの領域だと感じている。一つも成し遂げられなくて終わる人も多い。医療福祉専門技術とは、まじめに努力して20年~30年かけてやっとものになる高度なものである。片手間にできるものではない。医療福祉にかかわらず、我々の生活はそのような専門技術職の人達のおかげで成り立っている。私は趣味の介護基本技術くらいのホームページは作れるがパソコンそのものは電気屋さんで買わなくてはならない。映画も音楽も好きだが、制作することはできない。私の所属している運動療法の研究会の教科書一冊丸暗記していて、その本からは何を聞かれても答えられるくらいにはなっているが、他の本を読むことは好きだが、他の分野の本は調べないと答えられない。

スティーブン・コービーのような文章などとても書けない。

ICFが現場で実用的になる前提は各医療福祉専門職が十分に専門技術を習得していることである。

この前提が日本では欠けているのでICFが机上の空論になっていると私は結論付けた。

障害論

 

極論ですが、医学で全てが治せるのなら障害は全く起こりません。

障害を持っている人の障害度を、どのように正確に把握するかが試みられてきました。

​国際障害分類初版(ICIDH)から、国際生活分類(ICF)に改定された経緯

 

20世紀後半に入って、先進国での寿命の延長、慢性疾患や障害を伴う疾患の増加、戦争や災害による障害者の増加という現実と障害者の人権尊重という機運とがあいまって、障害、すなわち「疾患が生活・人生に及ぼす影響」をみる必要があるという意識が高まりました。国際障害分類の制定作業は1972年にはじまり、種々の議論をへて、1980年に「機能障害・能力障害・社会的不利の国際分類」(ICIDH)が「試用のため」としてWHOから刊行さました。時あたかも1981年の国連障害者年の前年にあたり、この新しい障害概念は「国際障害者年世界行動計画」の基本理念にも取り入れられ、一挙に世界中に知られるようになり、各方面に大きな影響を与えました。
 ICIDHのモデルは図1に示すとおりで、疾患・変調が原因となって機能・形態障害が起こり、それから能力障害が生じ、それが社会的不利を起こすというものです。
 

そのほか図1には一種の「バイパス」として機能・形態障害から直接に社会的不利が生じる経路が示されていますが、これはたとえば、大腿骨頸部骨折をしたとします。手術で大腿骨頸部骨折を完全に治せれば、後のリハビリはいらなくなります。DISEASE(大腿骨頸部骨折)を完全に医学が治せれば、IMPAIRMENT(関節拘縮、筋力低下など)は起こらず、DISABILITY(歩行障害)も起こらず、HANDICAP(今までの仕事ができなくなるなど)も起こりません。
 このモデルは障害を機能・形態障害、能力障害、社会的不利の三つのレベルに分けて捉えるという点で画期的なものでした。

 このように重要な意義をもった国際障害分類初版でしたが、いろいろな批判もありました。主なもの以下にあげます。

その主なものは、障害の主観的側面の必要性です。ICIDHの障害構造モデルは「客観的な障害」しか扱っていないものであり、それと同等に重要な「主観的な障害」(体験としての障害)、すなわち障害のある人の心の中に存在する悩み・苦しみ・絶望感(同時にそれらを克服するために生まれてくるプラスの心の働きである心理的コーピング・スキル)を付け加える必要があるというものでした。障害のある人は手足が動かない(機能障害)、歩行その他の日常生活の行為ができない(能力障害)、職を失う(社会的不利)などの現実世界の困難・不自由・不利益に悩んでいるだけでなく、同時に心のなかでひそかに「自分は無用な人間になってしまった」、「社会の厄介ものであり、家族のお荷物である」などという気持ちに悩まされており、心的エネルギーはもっぱらそれに向けられて、現実的に客観的な障害の克服のための工夫や努力に向けることが困難な場合が多い。逆にそのような心の悩みを克服することは可能であり、それを成し遂げた人は人間的に大きく成長し、主体性を発揮して客観的な障害の克服にも積極的に取り組むようになるということです。

ICIDHは「障害の分類」として、当然のことながら障害というマイナス面を中心にみているということです。しかし障害者とは障害というマイナスしかもたない存在ではなく、健常な機能・能力というプラスをもち、社会的不利だけでなく社会的な有利さをも備えている存在である。リハビリテーションとはマイナスを減らすことだけではなく、むしろプラスを増やす(潜在的な能力を開発・発展させる)ことで大きな成果を上げることができる。このような立場からの初版への批判は多くの人からなされました。

カナダのケベックのグループは、「環境因子」が重要で、環境因子のうちマイナスに働く「阻害因子」と機能障害・能力障害との相互作用によって社会的不利状況が起こる、という「カナダモデル」を提唱しました。このような環境重視の説はひろく諸外国の障害者運動の共感を得ました。

以上のほかに、「社会的不利の分類が不十分である」という批判もありました。。また「欧米中心で、他の文化を考慮していない」、「障害者の意見を聞かず専門家だけで作ったものである」などの批判もそれなりに当たっていたといえるという意見があります。 一方、明らかに誤解にもとづく批判も存在しました。たとえば初版のモデルは一方向的な矢印によって「機能・形態障害が不可避的・運命的に能力障害を引き起こし、それが運命的に社会的不利を引き起こすという運命論であり決定論である」という批判がありました。しかしこれは階層論を理解しない完全な誤解であって、初版の序論を読まずにモデルだけを見ての感情的な反発でした。

以上のような批判を受けて、WHOは1990年に改定の動きを開始しました。そして1992年から国際的な改定会議が毎年開かれ、専門家だけでなく障害当事者も参加して行われ、その結果を2000年11月の最終的な年次会議に結集し、そこで最終案が成立しました。そして2001年5月22日の正式決定に至りました。 この改定過程で国際障害分類の目的についてのコンセンサスができ、特に障害分野における「共通言語」(異なる専門の間、専門家と障害当事者の間、それらと行政との間、等々の理解・協力の促進のための)としての意義が強調されるようになりました。
その他、医療・福祉・介護・教育・職業等のサービスの現場における、障害の総合評価、サービス計画、結果評価などにおける活用が重視され、また調査・統計、研究、制度・政策の基礎付け、教育・啓発、など多数の分野での活用が目的としてあげられます。

7.国際生活機能分類(ICF)の特徴

(1)中立的名称の採用

 ICFにおいても、障害を三つのレベルで把握しようとする点は初版となんら変わりませんが、マイナスよりもプラスを重視する立場から、プラスの用語を用いています。すなわち機能障害でなく「心身機能・構造」、能力障害でなく「活動」、社会的不利でなく「参加」を用いています。これらが障害された状態はそれぞれ「機能・構造障害」、「活動制限」、「参加制約」です。
 これに伴い分類全体の名称も「生活機能・障害・健康の国際分類」というように人間の生活に関わることのすべてを対象とするものになりました。ここで生活機能(Functioning)とは人間生活の3階層を包括するプラスの包括用語であり、マイナスの包括用語である「障害」に対応して新しく作られた概念です。なお英語ではこれまで日本語の「障害」にあたる包括用語がなかったが、今回disabilityという、以前は能力障害という一つの階層のみを示していた語が包括用語となりました。同じ単語が異なる意味をもつようになったので注意が必要です。
このようにICFはICIDHを継承するものではあるが、もはや障害のみの分類ではなくなり、生活機能と障害の分類となりました。つまりあらゆる人間を対象として、その生活と人生のすべて(プラスとマイナス)を分類・記載・評価するものとなりました。

(2)相互作用モデルと環境因子

ICFのモデルは図2のようである。初版で「疾患/変調」であったものは、ICFでは「健康状態」という中立的な用語で表されるようになった。これは単なる言い換えではなくて、疾患だけでなく、妊娠、高齢、ストレス状態、先天異常、遺伝的素因などを含む広い範囲のものを含むようになっています。
 健康状態と生活機能の3レベルとの関係は、すべて両方向の矢印でつないだ相互作用モデルとなりました。また、重要な変化として環境因子と個人因子を「背景因子」として、生活機能と障害に影響する因子として取り上げ、新たに詳しい「環境因子」分類が加えられました。

図2 ICF:国際生活機能分類(2001)の生活機能構造モデル

テキスト

 

(3)活動と参加との共通リスト化

 今回の改定の過程でベータ2案までは「活動」と「参加」の分類は別々であったが、その両者の間の重複や線引きについての長期にわたる議論が最後まで決着がつかず、ICFでは両者を一緒にした「共通リスト」とし、その活用(どの項目を活動または参加、あるいはその両者に用いるか)については各国の自由に任され、時間をかけて世界共通の基準を作っていくこととなりました。

(4)活動の評価における「能力」と「実行状況」

 活動・活動制限の評価について、「実行状況」をみるのか、「能力」をみるのかという議論が長く続いたが、これは最終的に両者をみてその違いを把握することが重要であるということで決着がついた。これはわれわれが以前から提唱してきた「しているADL」、「できるADL」に対応する概念であり、その両者が重要との結論に至るまでには日本協力センターが提供したデータも一定の役割を演じたといってよい。なお参加については、当然のことながら実行状況の評価のみである。

国際障害分類初版(ICIDH)から
国際生活機能分類(ICF)へ
―改定の経過・趣旨・内容・特徴―

以上 上田敏先生の文章をお借りしました。

ICFは障害をとても多面的に捉えICIDHよりも正確に障害者を理解できるように仕上げられています。しかし、環境因子、例えば精神病に対する社会的偏見などをあげてしまうと、純粋に身体機能の治療を考えるとき複雑になりすぎ、治療手段を選択しづらくなります。例えば歩行障害を治したいのに、その人の経済状態を考えたりするのは、的外れといえるからです。歩行障害を治したいなら、可動域制限や運動麻痺、筋の収縮力を改善すれば、後の活動の部分は勝手に消えていくわけです。ICFは日本では介護保険導入に合わせたような時期に正式決定されています。

介護保険では、専門職の役割分担が非常に曖昧にされてしまったといっても過言ではありません。医師、看護師、リハ専門職、はりきゅう整骨師、介護専門職、ホームヘルパーの職域をごっちゃにしています。

ICFを完全に行うならば、介護保険制度でも、もっと各専門職の領域を正確にすべきだと思います。

 

皆さん、私のICFに関するアンケートに協力していただいて誠にありがとうございます。改めてICIDHからICFの改定の日本への導入にご苦労された、上田敏先生並びにこれに係わってこられたリハビリテーション医学会の先生方、厚生労働省の方々に敬意を表したいと思います。

ホームページの内容ではICFの不備について批判めいたことを記載しましたが私の目的はただやみくもにICFを批判するものではありません。医療介護を必要とする障碍者の方々の障害像を明確にすることは障害にアプローチしていく上で非常に重要となります。

心身機能、活動、参加、環境因子、個人因子の問題点を明確にし、各専門家のチームアプローチにより、それぞれの職種の専門性を発揮し障害者を自立に導き人間らしい豊かな生活をしていただくことを実現していくのにICFの概念は必要不可欠です。

しかしながらアンケートの結果のようにICFは複雑すぎるので介護現場に十分浸透していないというのが現状と思われます。かつてICIDHの不足部分を補う目的でICFに改定されたようにICFの問題点も今後、検討されなければ(もうそれは始まっているのか?)ならないと私は現場で働く一人の理学療法士として感じています。ICFのアンケートは引き続き残しておきます。よい選択肢をお考えの方は追加をお願いします。障害分類の改定作業というものはリハビリテーション医学会、厚生労働省などの有識者で議論され決定されるものだと思いますが、意見交換グループのメンバーの現場の声を上に届けるのは重要な役割であると私個人的には考えています。押川さんの投稿へのコメントから今回の投稿、アンケート作りを思いついたのですが、私自身、非常に勉強になり有意義な経験でした。これを明日の当院での理学療法技術に活かしたいと考えています。

皆さん今後ともよろしくお願いします。

 

日本の医療について

 

医師の過剰な治療が話題になっていますが、医療について考えてみたいと思います。

日本では、医療は、医師の独占業務です。医師以外はやってはいけないと法律で定められています。

しかし、実際には医師のみで全ての医療行為をすることは不可能です。そのために、看護師さんを初めとするコメディカル制度が出来ました。看護業務、薬剤業務、リハビリ業務、検査業務は国家試験を通った、看護師、薬剤師、臨床検査技師、レントゲン技師、PT,OT、STはその分野に限って医療行為ができるように制度が作られました。

上記のような制度ですから、当然役割分担があります。

他職の専門領域を侵害してはならないということです。看護師が運動療法などするのであれば、もっとすることがあるだろうということです。

効率的な医療を行うためには、独自の専門領域を深めて確実に患者さんを良くする技術を発揮できるようにならなくてはいけません。各技術を深め、更にチームアプローチが必要になります。

野球で例えるなら、ピッチャゴロをファーストが処理するようなことをしたら試合に負けてしまいます。

日本の医療では、このようなチームアプローチが十分にできていないので、患者さんを十分に回復されることができず、医師は焦りに煽られて、過剰な医療をしてしまうと私は考えています。

介護保険は、ひどいです。ケアマネの基礎資格が、医師、看護師、PT、OT、はりきゅう整骨師、介護福祉士、社会福祉士、ホームヘルパーになっています。役割分担が全く出来ていないので、効率的な介護ができていません。

本当に国民に支持してもらえる、医療福祉業を目指すなら効率的な専門職の役割分担を明確にして患者さん、利用者さんに満足していただけるように改善していかなくてはならないと私は思います。

 

 

千野直一先生の「現代 リハビリテーション医学」から

リハビリテーション医学の歴史についてまとめてみました。

 

リハビリテーション医学の定義

リハビリテーション医学とは、物理医学とリハビリテーションという一見全く異なるように見える2つの医学分野が統合されたものである。

 

物理医学とは、古来より医療の中で用いられてきた、運動療法、電気、温熱、光線、装具療法等を用いて、運動機能障害の患者の治療、診断等に用いられてきた。

 

リハビリテーションとは、患者を身体、心理、社会職業的に最大レベルまで到達させることである。

 

リハビリテーション医学は種々の疾患によって生じた運動系の障害を物理医学的手段により、診断と治療を施し患者に生きがいある社会的生活を送れるように援助する専門医学分野である。としています。

 

リハビリテーション医学は1947年米国専門医制度が発足が一つの出発点となり、リハビリ医学が米国において、独立した専門領域、内科、外科、小児科などの医学分野と同じように認められたそうです。

米国での専門医制度の正式名称は、Physical medicine and Rehabilitation(PM&R)で、

リハビリテーション専門医は、Physiatrtstと呼ばれました。

専門医制度はこの領域の対象となる運動機能障害をもつ患者のほとんどが自宅、職場地域社会への復帰、すなわちリハビリを必要とする人達でした。そのため物理医学専門医制度にリハビリの分野が加わり、1949年PM&R(物理医学とリハビリ専門医)となったそうです。

日本では、1963年の日本リハビリテーション医学会の創設が現在でのリハビリテーション医学の出発点です。水野祥太郎 大阪大学教授を会長として発足しました。

理学療法士、作業療法士の国家資格もこの頃設けられました。

私が理学療法士の免許を取ったのは、1988年です。この頃、PT,、OTの学校はまだ少なく、日本全国で50校あるかないかでした。

私の母校の先生からは、「君たちはある意味パイオニア的な存在だ。」と言われて就職しました。

この頃の技士長には、特例の先生がいらっしゃいました。はりきゅう整骨師の免許で、病院に勤めていて、理学療法業務にあたっていた先生方です。PT、OTの養成校を出なくても、特例の国家試験に通ればPT、OTの資格が与えられました。(特例はPT,OT法ができてから、数年だったと思います。)

私がPTになりたての頃は、PTがまだまだ少なく、病院は「PTがいない。」と言って重宝がられました。1990年代になり、高齢化が社会問題になり、高齢化に対応する職種としてPT,OTの養成が必要だということで、養成校がどんどん作られました。専門学校、短大、大学とその数は膨れ上がりました。在宅医療が必要になり、介護保険の導入にPT,OTが狩りだされたという感じです。

あまりにも急速にPT,OTが増えるのを懸念する声もありました。

現在ではPTだけで13万人です。私が就職した頃は6000人余りだったのですが、

30年間で20倍になったということです。

介護保険が始まって18年、PT,OTが介護現場でどれくらい役立っているでしょうか。

もちろん、その専門技術を十分発揮されている先生もいらっしゃいますが、リハビリテーション医学導入当時のPM&Rとは、かけ離れた業務になっているのではないでしょうか?

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