リハビリテーションの歴史
俗語でリハビリは、誰にでもでき障害者と楽しく遊んでいればいいことを言います。日本語の俗語のリハビリと治療医学であるリハビリテーションとの間には厳密な違いがあります。
リハビリテーション医学の原点は、ニューヨーク大学のラスク教授が執筆した「リハビリテーション メディソン」にその詳細が記載されています。現在では廃版になっていて日本では手に入らないと思います。私がラスクの日本語訳のリハビリテーション医学を読んだとき、序章でとても印象的なことが書かれていました。車いす患者の上肢は、下肢を代償するので健常人のそれよりも強い。障害があっても、他の障害されていない部分を適切に訓練し障害のある部位を補ってやれば、障害者は健常人以上の能力を発揮できる。という内容が印象的でした。しかし、これには専門的な知識、技術が必要で、洗練させたリハ医、PT、OT、NS、MSW等の専門職の技術がなくては実現できないということが記載されています。ラスクは各専門職の役割、専門性を明確にしました。リハ医が適切に指示し、各専門職が自身の技術を最大限に発揮し、リハ医がその報告を受け全体的な治療をまとめることにより、社会復帰を最も効果的に進めるリハビリテーション チーム医療の原型を作り上げました。これが日本では東京大学医学部の上田敏先生により、導入されました。日本のリハビリテーション医学の本の多くが上田敏先生により執筆されています。
私は、無資格の人でも、介護を地道に勉強しながら働くことは、すばらしいことだと思っています。また、昼間、アルバイトをしながら夜間のPT、OTの学校に通う学生の勤勉さも知っています。しかし、勝手に自分でリハビリを作っていいという考えのPT、OTがいることはとても残念に思っています。リハビリ創成期から苦労してリハビリテーション医学を導いてきた大先輩の教えを「時代とともに古くなる」など恥ずかしげもなく堂々と投稿するPTはPTの資格がないと思っています。
それは、エジソンの研究開発した蓄音機の技術がなければ、現在の録画、録音の技術はなかったと言うことを無視したり、ニュートンの慣性の法則を知らずして人工衛星を打ち上げようとするのと同じことです。
介護でも経験の積んだ先輩の指導を無視して勝手に、食事介助、排泄介助、入浴、薬の管理を独自に行う新人職員がいたらどうでしょうか?そんな、新人は職場に居られないでしょう。
介護職、一般の人が御老人にリハビリしようといって仲良くなるのは微笑ましいことです。しかし、そこには専門職のPTはいりません。
独学が悪いといっているのではありません。専門職はやはり、しかるべき研修を定期的に受けることが必要で、日本PT協会が行っているような、生涯学習プログラムなどに参加して確かな先生の研修会を受けて、認定療法士などの上の資格を目指すべきです。自己満足で終わっていてはいけません。